連載第6回  遠藤正義さん

 

 

~私の稲門時代~  遠藤正義 昭和41年 英語科英文学専攻科卒


北アルプスの麓の町、長野県大町市が私の故郷である。四方八方どこを向いても山ばかりである。
「卒業式が中止になった」という声。昭和41年3月、早稲田大学はロックアウトされた。学園紛争のためである。大隈講堂での卒業式を待っていた私はショックを受けた。声も出なかった。専攻科の20名は、教室で卒業証書を受け取ったのである。事務職員から。
もう30半ばであった、私が専攻科に入学した時は。学部を卒業して勤めていた外国映画の輸入配給会社を辞め、中学校の英語教師に転身したばかりであった。大学でしっかり学びたかった。
入学してみると、クラスには私と同年輩や年長の人もいてほっとした。しかし、この国文と英文科の専攻科は10年くらい前に廃止されてしまったので、説明させていただく。高校教員の一級免許状は大学院の修士を修了しないと貰えなかった。しかし当時大学院は各大学に必ずしもなかった。早稲田の専攻科を卒業すると一級免許が獲得できたのだ。それで他大学の卒業生や高校の教員が過半数入学してきたと思われる。
「からたちの花」という歌がある。花は心を癒してくれる。わがクラスにも、岸恵子を思わせる美人がいて、クラスを華やかにしてくれた。
或る日、教室がざわめいていた。何事かと近づくと、さきほど吉永小百合が図書館に入ったと男性たちが興奮していたのだった。
教えを受けた先生方は、超のつく有名な教授で、畏れ多かった。先日、英文科の冬木教授に、そのことをお話ししたところ、それは財産だね、と言われた。自慢くさくなったようで済みません。
大学の帰りはいつも夜であったが、高田馬場駅へ歩くのが常だった。仲間とのつたない話をしながら。“三朝庵”のそばはたまに食べたが、西門の角にある“八幡鮨”は横目で見ただけであった。驚いたことに、三朝庵は最近10階建ての近代ビルになっていた。一階で三朝庵は営業している*このあと、三朝庵は昨年7月に閉店しました。
もう88歳である、私は。現在、オープンスクールで、シェイクスピアの原文をよむ傍ら、俳句をひねっている。老化防止に役立っているかどうか。
さて、日本はいよいよ“令和”の時代に入ろうとしている。どんな時代になるだろうか、期待したい。私に残された時間は多くないと思うが、ささやかでも社会に役立つことをしたいと思っている。