写真館

井上慎一の「山の写真集」

【第11回目】北アルプス最深部 雲ノ平・高天原 他

 2000年8月、北アルプス最深部に位置する雲ノ平、高天原、さらに裏銀座縦走コースを5日間かけて歩いた。前夜寝台特急「北陸」に乗り富山駅で下車。電車・バスを乗り継ぎ登山口の折立へ。山中の山小屋に4泊し長野県側の高瀬ダムに下山した。今回掲載する写真はすべてその時のものである。この山行で何より悩まされたのが毎日襲ってきた雷雨だった。
1日目は折立から太郎兵衛平を経て薬師岳山荘まで約7時間の行程。太郎兵衛平に着くと遠く双六岳方面で雷が光っているのが見えた。幸いこちらの方には来なかったが、山荘に着くまで間断なく雷の音が響いていた。薬師岳山荘は小さいが気持ち良い山小屋だった。小屋主は女性で到着時の抹茶に癒された。<薬師岳山荘泊>【⇒薬師岳で撮った写真①②】

 

 2日目早朝、薬師岳山頂を踏む。この日は薬師沢小屋を経て雲ノ平に至る約8時間の行程。朝はよい天気だった。10:40薬師沢小屋着。黒部川の吊橋を渡り雲ノ平への急登に取り付く。登り始めてすぐに雨が降り出した。と同時に赤牛岳方面で雷鳴が轟いた。まだ昼前、こんな早い時間に雷か!と驚いた。雨はドシャ降りとなり、雷鳴は徐々にこちらの方に近づいてきた。すると目の前を鋭い光が走った瞬間、ガリガリと耳をつんざくような猛烈な音が上空から襲ってきた。危険を感じてザックを置き、暫くの間低い姿勢で雷が通り過ぎるのを待った。これが山の稜線だったらどんなに怖かっただろう。急登を終え雲ノ平のアラスカ庭園に出た時、雷は黒部五郎岳方面に去っていた。降り続く雨の中、雷鳴が遠くでまだ響く中、14:30雲ノ平山荘着。山荘は夏の週末とは思えない程登山者は少なかった。激しい雷雨でここまで入るのを断念した登山者もいたのだろう。夕方雨は上がった。アルプス庭園からの水晶岳は夕日に輝きとても美しかった。<雲ノ平山荘泊>【⇒雲ノ平の写真③~⑥】

 

 3日目は行程中日で休息日と決めていた。この日は雲ノ平を散策した後、高天原山荘まで下るわずか2時間半の行程。雲ノ平は長大な北アルプスのほぼ中心に位置し、国内で最も高い標高にある溶岩台地の高原である。自然の造形美あふれる「庭園」と呼ばれる場所がいくつかありその景観は素晴らしかった。10:30高天原山荘着。早速露天風呂へ。高天原温泉は山道を20分程下った温泉沢の対岸にあった。誰もいない。山中5日間で唯一入れる温泉で髪は冷たい沢に頭を突っ込み水洗いした。北アルプスの奥深く、緑に囲まれ、沢の音を聞きながら一人で入る露天風呂は格別で最高の気分だった。入浴後さらに奥に進み龍晶池へ。夢ノ平にひっそりと佇む龍晶池は北アルプス最奥地とも言える場所で、ここに来ることが今回の目的の一つでもあった、山荘に戻りテラスで昼食を食べているとまた雷雨がやってきた。激しい雨はこの日も夕方まで降り続いた。<高天原山荘泊>【⇒高天原の写真⑦~⑨】

 

 4日目は水晶岳山頂を踏み、その後裏銀座コースに入り野口五郎岳に至る約8時間の行程。この日も朝はよく晴れていた。水晶岳山頂に着いた頃から雲が湧き出してきた。水晶小屋を11:00発。裏銀座に入り東沢乗越を過ぎた辺りで雨が降り出した。南の方角で雷が鳴った。振り返ると双六岳方面の空が黒かった。ヤバイ!と思った。今日も雷雨が襲ってくる。だが今日こそは稜線上を歩くので逃げ場はない。水晶小屋に戻るには1時間、野口五郎小屋まではまだ2時間もかかる。戻るか進むか一瞬迷ったが、“運を天に任せ前へ進もう!”と腹をくくった。背後に雷鳴を聞きながら、こっちに来るなと祈りながら、降りしきる雨の中を走るように歩いた。そして14:00野口五郎小屋着。直後にバケツをひっくり返したような豪雨になった。正に間一髪だった。<野口五郎小屋泊>【⇒水晶岳付近の写真⑩⑪】

 

 5日目早朝、野口五郎岳からご来光を仰ぐ。この日は展望の良い裏銀座を烏帽子岳まで縦走。そこから北アルプス三大急登の一つ「ブナ立尾根」を高瀬ダムに下った。北アルプス最深部横断の山旅は私の心に深く刻み込まれ、大切な山の記憶となった。【⇒裏銀座の写真⑫~⑮】

※ 次回の写真集・第12回は「穂高岳・涸沢」の予定です。2021年10月 井上愼一

 

①入山2日目、薬師岳山頂(2926m)からのご来光

②薬師平に咲くイワイチョウ。高山の湿地に群生する白く可憐な花

③雷雨の後、夕日を浴びる雲ノ平山荘と水晶岳(2986m)<アルプス庭園にて>

④正面は三俣蓮華岳(2841m)左に槍の穂先がわずかに見える<アルプス庭園にて>

⑤朝の雲ノ平を散策。ギリシャ庭園と雲ノ平山荘方面を望む<スイス庭園にて>

⑥悠々と稜線を広げ、どっしりした山容の薬師岳<雪渓の残る奥スイス庭園にて>

⑦一度は訪れたかった秘湯・高天原温泉の露天風呂。長年の念願叶って気分は最高!

⑧人の気配なく針葉樹に囲まれ静かに佇む北アルプス最奥地「龍晶池」。後方は薬師岳

⑨雷雨が上がった夕暮れ時、ニッコウキスゲ咲く幻想的な高天原湿原

⑩正面は祖父岳(じいだけ)、左奥はカール地形が特徴の黒部五郎岳。ワリモ岳分岐にて

⑪水晶小屋前からの水晶岳(黒岳)。この頃、雲がモクモクと湧き出してきていた

⑫日の出直後、野口五郎岳(2924m)からの槍ヶ岳。右奥遠く雲に浮かぶ山は乗鞍岳

⑬野口五郎岳から北へ向かう裏銀座コース。日陰の窪地に野口五郎小屋。左奥は立山連峰

⑭裏銀座縦走コースから水晶岳を望む。気持ち良い稜線歩きが続く

⑮裏銀座最後の山・烏帽子岳(2638m) ここからブナ立尾根を高瀬ダムに下る


井上慎一の「山の写真集」
【第10回目】 北アルプス・後立山連峰

 昨年12月、北アルプスの槍ヶ岳から始まった私の「山の写真集」は、その後剱岳、立山、尾瀬、北海道、東北、上信越、関東周辺、甲州、南アルプス、御嶽山と巡ってきたが、再度北アルプスに戻る。今回は後立山連峰に焦点を当てる。後立山連峰とはどの山域を指すかについて私自身漠然とした認識しか持っていなかったので今回改めて調べてみた。後立山連峰とは北アルプスのうち黒部川の東側に連なる山群で、南北には、北端は日本海に落ち込んでいる「親不知」から、南端は一般的に「針ノ木峠」までとある。後立山は立山の背後にあることを意味するので富山県側から見ての呼称である。主な山を北から辿れば、朝日岳、雪倉岳、白馬岳(白馬三山⇒白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳)、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、針ノ木岳となる。これらの山々を繋ぐ主稜線は長野県と富山県の県境をなしている。
「白馬岳」(2932m)は後立山連峰の最高峰であり、私が北アルプスで最初に登った山でもある。1992年夏が初登頂で通算では4回登っている。大雪渓が有名だが、高山植物も多く展望も抜群で、とても魅力的な山である。「白馬」を“しろうま”と読むか“はくば”と読むかは非常に紛らわしいところだ。いろいろ経緯はあるようだが、山名、雪渓、高山植物の名称以外は“はくば”と読む。したがって村名は“はくばむら”、駅名は“はくばえき”、山荘は“はくばさんそう”であるが、山は“しろうまだけ”と読むのが正しい。
私が思い出深いのは2000年7月の山行。この時の計画は1日目大雪渓を登り白馬山荘泊。2日目朝日岳まで縦走し朝日小屋泊。3日目五輪尾根を下り蓮華温泉に下山であった。1日目の大雪渓は雨だった。大雪渓は3度登ったがいつも雨に降られ良いイメージがない。2日目朝、雨は止んだが今度は一転して猛烈な西風が吹き荒れた。(写真②) 朝日岳への縦走を断念し山荘に停滞、連泊することにした。仕方なく山荘付近で花の写真を撮って1日を過ごした。③の花は「ウルップソウ」で準絶滅危惧種の指定を受けている。日本では白馬岳、八ヶ岳の横岳、北海道礼文島でしか見られない貴重な花だ。天気に恵まれない山行だったが、3日目に素晴らしい朝が待っていた。白馬岳山頂からのご来光は例えようもない程に美しかった。④~⑥がこの時の写真。大満足の思いを持って白馬大池から蓮華温泉に下山した。
なお懸案として残った「白馬岳→朝日岳→蓮華温泉」の縦走は2014年7月に14年の歳月を経てようやく果たした。また写真⑦は1992年7月白馬岳に初登頂した時のもので鑓ヶ岳山頂から撮った。この山行が私にとってはその後頻繁に行くようになる北アルプスへの第一歩、山旅の始まりとなり、この写真も思い出深く忘れがたい1枚となった。
後立山連峰の北部を代表する山が白馬岳とすれば、南部を代表する山は五竜岳と鹿島槍ヶ岳であろう。「五竜岳」(2814m)の姿は均整がとれ美しく、また堂々として、人を圧倒する迫力と名山の風格を感じさせる。私は1998年秋と2008年夏に2度登った。いずれも八方尾根~唐松岳~五竜岳~遠見尾根のルートを辿った。今回3枚の写真を掲載する。⑨は八方尾根にある八方池で撮った写真。池からの景観は“素晴らしい!”の一言に尽きる。⑩は大黒岳付近の稜線からで、五竜岳が大きく迫ってくる姿がとても気に入っている。⑪は遠見尾根からで、赤い屋根が印象的な五竜山荘と鹿島槍ヶ岳を構図の中に入れ込んだ。
「鹿島槍ヶ岳」(2889m南峰)は双耳峰が特徴で、かなり遠くからでもすぐに見分けることができる。この山にも2度登っている。1999年8月は4日間の行程。1日目扇沢から針ノ木雪渓を登り針ノ木小屋泊。2日目針ノ木岳から種池山荘まで尾根歩き。3日目鹿島槍ヶ岳に登頂、冷池山荘泊。4日目は山荘を未明3:30発。爺ヶ岳山頂でご来光を仰ぐ。朝日に輝く鹿島槍ヶ岳が美しかった。その後扇沢に下山。⑬~⑮がこの山行の写真である。

※ 次回の写真集・第11回は「北アルプス最深部 雲ノ平・高天原」の予定です。
2021年9月 井上愼一
 

①白馬大雪渓を登る。この時も雪渓上部で雨が降り出した<2005年7月>

②猛烈な風が吹き荒れ、黒くくねった雲が鑓ヶ岳にぶつかり砕けていた<2000年7月>

③白馬岳山頂に咲くウルップソウ。青紫色の小さな花がとても印象的<2000年7月>

④夜明け前、剱岳の右上空に月が輝いていた<2000年7月>

⑤入山3日目に素晴らしい朝が! 白馬岳山頂からの美しいご来光<2000年7月>

⑥朝日を浴びる白馬三山の杓子岳と鑓ヶ岳。右後方は剱岳・立山<2000年7月>

⑦鑓ヶ岳山頂から望む白馬岳(左上)、中央は杓子岳<1992年8月>

⑧朝日岳・小桜ヶ原に群落するハクサンコザクラ<2014年7月>

⑨八方池からの展望。一番右端の黒い山が白馬岳、白い山は鑓ヶ岳<1998年10月>

⑩五竜岳が大きく迫る!唐松岳から五竜岳に向かう稜線にて<2008年8月>

⑪遠見尾根からの五竜岳と五竜山荘。左後方に見える山は鹿島槍<2008年8月>

⑫のどかで開放感溢れる雰囲気の種池山荘付近。遠くは残雪の立山連峰<2006年8月>

⑬赤岩尾根分岐付近からの鹿島槍。力強く颯爽と立つ双耳峰が美しい<1999年8月>

⑭爺ヶ岳山頂(中峰2670m)にてご来光を仰ぐ。左後方の山は剱岳<1999年8月>

⑮右に針ノ木岳、左の鞍部が後立山連峰南端の針ノ木峠。スバリ岳から<1999年8月>

 

井上慎一の「山の写真集」
【第9回目】 南アルプス・御嶽山

■南アルプス
「南アルプス北部」を代表する山と言えば、北岳、間ノ岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鳳凰山、塩見岳あたりであろう。南アルプス南部と比べ交通の便は比較的良いので登山者も多い。
 北岳(3193m)は富士山に次いで標高第2位の山だ。私は通算4回登っている。内2回は間ノ岳(3190m)まで足を延ばした。北岳は高山植物が多く夏のお花畑は素晴らしい。特に「キタダケソウ」(写真②)は6月下旬山頂の南東斜面にだけ咲く北岳の固有種で貴重な花だ。私は白峰三山(しらねさんざん⇒北岳、間ノ岳、農鳥岳)の農鳥岳(3051m)の山頂を踏んでいない。国内に標高3000m以上の山は21座あるが、唯一農鳥岳だけが未踏である。三山を縦走し奈良田に下るルートはずっと山行候補にしてきたが果たせていない。今となっては“やり残した!”という思いが強い。【⇒北岳、間ノ岳の写真は①~⑤】
 写真⑥⑦は11月の鳳凰三山(薬師岳、観音岳、地蔵岳)。夜叉神峠から稜線を歩き薬師岳小屋泊。翌日は三山最高峰観音岳(2840m)の山頂を踏み白鳳峠から広河原に下山した。

赤石山脈の三伏峠、白峰山脈の転付峠以南を一般的に「南アルプス南部」と総称する。この地域の山はどっしりした山容で樹林帯が頂上付近まで広がっている。なので、登山道を1日登ってもまだ樹林帯を抜けないという長い単調な山歩きを強いられる。そのせいか展望の良い稜線に出た時の解放感、爽快感はより一層大きいように思う。登山基地「椹島」までの交通の便は非常に悪い。静岡市内から大井川の畑薙第1ダムまで狭い山道を車で走り約2時間、そこから東海フォレスト(山林事業者、山小屋も多く経営)の送迎バスで一般車通行不可の未舗装悪路を1時間半近く走りようやく椹島に着く。こうした不便さから登山者は比較的少ない。胸にワッペンをつけた団体さんは北アルプスには多いが、この山域ではさすがに見かけたことはない。今はほとんどの山小屋が食事付で泊まれるので便利になった。
 椹島を起点に荒川三山(東岳3141m)、赤石岳(3121m)、聖岳(3013m)を繋ぐ縦走路は南アルプス南部の核心部で最も充実感がある。さらに南へ茶臼岳(2604m)、光岳(てかりだけ2591m)へと足を延ばせば6日程度の日数を必要とする。私は何度かに分けて登った。光岳へは畑薙湖・沼平から山中3泊4日で往復した。光小屋の宿泊者は夏のハイシーズンにも拘わらず私を含め2名だった。【⇒南アルプス南部の写真⑧~⑬】

■御嶽山 3067m
2014年9月27日午前11時52分に御嶽山が噴火した。58名の登山者が亡くなり戦後最悪の火山災害となった。テレビで観た噴火時の映像はあまりにも衝撃的で、今でも脳裏にしっかり焼き付いている。「当日が日曜日であったこと」「天気が良く晴れていたこと」「紅葉真っ盛りの時期であったこと」「ちょうど昼時だったこと」等の条件が重なり、山頂付近に登山者が多く集まっていたことが最悪の事態をもたらした。
その日から遡ること6年前の同じ日、2008年9月27日の同時刻に私は御嶽山の山頂にいた。(写真⑭) 強風を避け、頂上山荘の軒下で昼食。もし6年前に噴火が起きていたら間違いなく自分が犠牲になっていた。そう思うと、この噴火は私に特別な思いを抱かせる。
この山行では黒沢口登山道六合目「中の湯」まで車で入り剣ヶ峰を目指した。山頂を踏んだ後、二ノ池、サイノ河原、三ノ池を巡って飛騨頂上五の池小屋に宿泊した。思い出に残っているのは三ノ池付近の紅葉の美しさと五の池小屋で見た夕焼け(写真⑮)である。

※ 次回の写真集・第10回は「後立山連峰」の予定です。また北アルプスに戻ります。
2021年8月 井上愼一

①間ノ岳への登山道から望む北岳。翼のように尾根を広げた姿が美しい<2000年6月>

②北岳にだけ咲く絶滅危惧種「キタダケソウ」、白く小さい可憐な花だ<2000年6月>

③夜明け前、中白峰(なかしらね)からの富士山<2010年8月>

④ご来光に手を合わせ祈る登山者。中白峰にて<2010年8月> 

⑤ハクサンイチゲのお花畑が広がる中白峰からの間ノ岳<2000年6月>

⑥夕暮れ迫る薬師岳山頂からの富士山。もう冬間近で山は寒かった<1997年11月>

⑦赤抜沢ノ頭から鳳凰三山のシンボル「地蔵岳のオベリスク」を望む<1997年11月>

⑧千枚小屋を未明発。千枚岳山頂で迎える夜明け。雲に浮かぶ富士山<2010年8月>

⑨荒川東岳(悪沢岳)から荒川中岳(右)赤石岳(左)へと続く縦走路<2010年8月>

⑩赤石岳の稜線で出会ったライチョウ<2010年8月>

⑪赤石小屋を早朝発。大倉尾根から望む南アルプス南部の盟主赤石岳<2005年8月>

⑫百間洞を出発して約5時間、ようやく聖岳の山頂を踏む<2005年8月>

⑬畑薙湖・沼平から入山3日目の朝、光岳山頂直下から富士山を望む<2012年8月>

⑭御嶽山山頂・剣ヶ峰にて。強い寒風が山頂を吹き抜けていた<2008年9月27日>

⑮御嶽山・飛騨頂上五の池小屋の夕焼け<2008年9月27日>

 

 井上慎一の「山の写真集」

【山の写真集・第8回目】 関東周辺・甲州の山
■両神山 1723m(写真①)
両神山へは日向大谷から登る表参道が一般的だが、裏側の上落合橋に車を置き入山、八丁峠から山頂を目指した。岩稜を辿る「八丁尾根」はクサリ場が連続する険しいルートだった。

①ヤシオツツジ咲く両神山。西に続く八丁尾根の険しい稜線<1999年5月>


■雲取山 2017m(写真②)
東京都の最高峰である。三峰神社から三峰山を辿り雲取山に至る。山頂避難小屋泊。翌日は山頂から奥多摩駅まで延々と続く「石尾根」を下った。駅まで6時間20分を要した。

②三宝山(埼玉県最高峰2483m)背後に沈む夕日、雲取山山頂にて<2000年5月>


■奥多摩・長沢背稜(写真③)
奥多摩はどこの山もハイカーで賑わう。だが長沢背稜は少し奥まったところにあり地味な山域のため人は少なく静かな山旅ができる。写真は雲取山から日原への下山時に撮った。

③奥多摩の静かな尾根道・長沢背稜。尾根は東京と埼玉の都県境に沿う<2008年6月>


■大山 1252m(写真④)
写真は大山の中腹にある大山寺の紅葉。大山寺の山号は雨降山(あぶりさん)、本尊は不動明王。高幡不動、成田山新勝寺とともに「関東の三大不動」に数えられている。

④大山寺の紅葉。毒々しいほどに鮮やかな赤だった<2014年11月>


■丹沢 最高峰は蛭ヶ岳 1673m(写真⑤)
丹沢には季節を変え、ルートを変え、数多く登った。丹沢は花の季節(春~初夏)が良い。写真の尾根道も花が多く綺麗だが、丹沢三峰山~丹沢山の尾根に咲くシロヤシオも見事だ。

⑤丹沢山~塔ノ岳の尾根道。霧の中トウゴクミツバツツジが美しく咲く<2010年6月>


■明神ヶ岳 1169m(写真⑥)
明神ヶ岳へはいつも大雄山最乗寺から登る。登山道は中腹から背後に相模灘を望めるようになり展望に優れる。写真は富士山が綺麗に見える場所で私はいつもここで弁当を広げる。

⑥明神ヶ岳から金時山と富士山を望む<2013年12月>


■箱根・湯坂路(写真⑦)
湯坂路は鎌倉時代の箱根越えの主要街道で「鎌倉古道」とも呼ばれ、私はこの道をよく歩いた。函嶺洞門の手前から尾根に取りつく。雪がうっすらと積もった山道に紅葉がよく映えた。

⑦うっすら雪化粧した箱根「湯坂路」の紅葉<2011年12月>


■伊豆・天城(写真⑧)
天城山(万三郎岳)へは天城高原ゴルフ場脇からが最短ルートだが、距離は長いが天城峠から八丁池を経る「天城縦走路」を一度歩きたかった。写真はスタート地点の旧天城トンネル。

⑧新緑が美しい旧天城トンネル。この日天城縦走路を歩き天城山へ<2015年5月>


■三ツ峠山 1775m(写真⑨)
西側からの最短ルート(裏口登山道)で登った。山頂にはかなりの雪があった。この日は雲一つない冬晴れで、凛とした空気の中、富士山や雪を抱いた南アルプスがくっきりと見えた。

⑨12月快晴の朝、三ツ峠山登山道からの富士山<2009年12月>


■乾徳山 2031m(写真⑩)
山頂からの展望はぐるっと360度、南に富士山や南アルプス、北に金峰山や甲武信岳等の峰々が見渡せる。また頂上直下に絶壁のクサリ場があり、ちょっとしたスリルも味わえる。

⑩晩秋、乾徳山山頂から東の方角に紅葉の奥多摩の峰々を望む<2012年11月>


■十文字峠(写真⑪)
十文字峠はシャクナゲが有名で6月初旬の見頃の時期を狙った。毛木平に車を置き、千曲川源流、甲武信岳、三宝山を巡り十文字小屋に宿泊。小屋周辺のシャクナゲは実に見事だった。

⑪アズマシャクナゲが満開の十文字小屋<2009年6月>


■金峰山(山梨側“きんぷさん”長野側“きんぽうさん”) 2599m(写真⑫)
金峰山は雲取山から西に続く長大な奥秩父主脈の西端に位置し奥秩父の盟主たる山である。初登頂は1998年11月。山頂直下の金峰山小屋は11月というのに超満員だった。

⑫早朝、金峰山山頂から「五丈岩」と遠く雪を抱いた南アルプス<1998年11月


■富士本栖湖リゾートからの富士山(写真⑬)
富士山には2001年9月河口湖口五合目から登り日帰りした。登山時の写真を掲載しようと思ったが良い写真がない。替わりにこの写真を掲載する。本栖湖リゾートには天子山塊の毛無山登山後に立寄った。富士山は登るより遠くから眺めた方がよいとつくづく思う。

⑬芝桜が美しい富士本栖湖リゾートからの富士山。絵になる風景だ!<2014年5月>


※ 次回の写真集・第9回は「南アルプス・御嶽山」の予定です。
2021年7月 井上愼一

 

   井上慎一の「山の写真集」

【山の写真集・第7回目】 北関東・上信越の山


■那須岳・姥ヶ平(写真①)
姥ヶ平は茶臼岳の西斜面に広がる山域で紅葉が素晴らしい。私は多くの山の紅葉を見てきたが姥ヶ平の紅葉がNo.1だ。姥ヶ平から1時間程の場所に三斗小屋温泉がある。鎌倉時代から続く山奥の古い温泉で趣がある。紅葉に囲まれた露天風呂が何とも気持ち良かった。

①那須・姥ヶ平の素晴らしい紅葉、後方の山は茶臼岳<2011年10月>

■奥日光 社山1827m(写真②)、明智平(写真③)
中禅寺湖を挟んで男体山と対峙しているのが社山で5月下旬シロヤシオやトウゴクミツバツツジが咲く。山頂部にはシャクナゲが群落している。奥日光では私がとても好きな山で、登った回数も多い。また中禅寺湖の東、明智平から茶ノ木平に続く尾根に中禅寺湖と華厳滝を望める展望スポットがある。5月上旬アカヤシオが咲く時期の風景の美しさは格別だ。

②社山に咲くシロヤシオ、後方は男体山と中禅寺湖<2021年5月>

③アカヤシオ咲く尾根道から望む中禅寺湖と華厳滝<2009年5月>

■日光白根山(奥白根山) 2578m(写真④)
群馬県の草津白根山と区別し日光白根山と呼ぶ。日光山群の最高峰で日本列島のこれより北にこれ以上標高の高い山はない。シラネアオイの花の名はこの山からつけられている。菅沼登山口に車を置き入山。山頂を踏んだ後、五色沼、金精山、金精峠を巡って下山した。

④日光白根山山頂から日光連山を展望。右に男体山、中央奥が女峰山<2013年10月

■谷川岳 オキノ耳1977m トマノ耳1963m(写真⑤)
東斜面は絶壁でロッククライミングの聖地と呼ばれ過去遭難事故が多発、山の死者数でギネス世界記録を持つ。ロープウェイ利用の天神尾根は最も容易で多くの登山者が利用する。私は少しハードだが迫力ある東斜面の岩場を望める西黒尾根、巖剛新道を好んで歩いた

⑤西黒尾根から見上げる双耳峰谷川岳トマノ耳(左)とオキノ耳(右)<2010年7月>

■苗場山 2145m(写真⑥)
この山の魅力は何といっても頂上付近に広がる広大な湿原にある。私が最初に登ったのは1999年10月下旬。宿泊した山頂の山小屋はその日がシーズン最終営業日で朝から小屋を閉じる準備が始まっていた。既に湿原は初冬の風情が漂い、池塘は凍りついていた。

⑥日の出直後、朝日に染まる苗場山山頂の湿原<1999年10月>

■巻機山(まきはたやま) 1967m(写真⑦)
上越国境の山群で私が一番好きな山だ。山名は機を織る美しい姫が山中に住むという伝説に由来する。山頂部には広大な草原が形成され池塘が点在する。牛ヶ岳、割引岳への山上散策は展望が良く爽快で楽しい。前巻機南斜面に広がる紅葉の素晴らしさに私は圧倒された。

⑦紅葉の巻機山山頂付近からの展望<2008年10月>

■浅間山 2568m(写真⑧)
山頂は立入禁止だが、火山活動レベルの低い時は火口近くの前掛山まで登ることができる。浅間山の西側に広がる湯ノ平高原はカラマツが多く、10月中旬の黄葉は見事である。

⑧秋晴れの日、カラマツの黄葉が美しい湯ノ平高原からの浅間山<2009年10月>

■八ヶ岳 最高峰・赤岳 2899m(写真⑨横岳からの赤岳、⑩北八ヶ岳・亀甲池)
八ヶ岳も私が回数多く登った山の一つだ。南部と北部で山の持つ趣や山容が大きく異なり、それが魅力でもある。岩峰が連なり高山植物が多く咲く南部も良いが、針葉樹林の森が広がり神秘的な池が点在する北部も良い。一人静かに歩くには晩秋の北八ヶ岳がお薦めである。

⑨横岳から望む八ヶ岳連峰の最高峰赤岳<2011年7月>

⑩静寂に包まれる北八ヶ岳亀甲池<2013年7月>

■火打山 2462m(写真⑪)
火打山は頸城三山の一つ(他に妙高山、焼山)で妙高連峰の最高峰である。山上にある天狗ノ庭、高谷池、黒沢池周辺の湿原には初夏雪解けとともに様々な高山植物が咲き、その美しさは格別だ。私は1994年と2015年の2度、いずれも花の綺麗な7月に登っている。

⑪天狗ノ庭の湿原に咲くコバイケイソウ、背後一番奥が火打山<2015年7月>

■雨飾山 1963m(写真⑫、⑬はおまけ)
妙高連峰の西端に位置する。“あまかざり”という美しい山名に惹かれる。2000mに満たないが素晴らしい山だ。山頂からは360度の展望で新雪の白馬連峰が綺麗だった。山頂で弁当を食べていると目の前にオコジョが現れた。慌ててカメラのシャッターを切った

⑫荒菅沢から見上げる紅葉の雨飾山・布団菱岩峰群<2006年10月>

⑬おまけの写真! 本文に書いた雨飾山のオコジョです<2006年10月>

※ 次回の写真集・第8回は「関東周辺・甲州の山」の予定です。

2021年6月 井上愼一

 

【山の写真集・第6回目】 東北の山 飯豊山・朝日岳 他

東北の山には北アルプスのような派手さはない。東北6県の最高峰は尾瀬の福島県側にある燧ケ岳(2356m)だが、各県を代表する名山の多くは2000m前後と標高も決して高くない。東北の山に私は「素朴さ」を感じる。それが良さでもあると思う。

さらに登山口近くには東北らしい鄙びた温泉があり、それも大きな魅力である。山の多くは日帰りが可能だが、一方で山形県の山は深い。「山深さ」で言えば飯豊連峰と朝日連峰が双璧であろう。特に飯豊連峰は山形、福島、新潟の3県にまたがる大山塊で、どの登山口から入っても飯豊山(本山 2105m)には1日で着けない。本山を踏むには2泊3日が必要である。山中に山小屋(ほとんどが無人)はあるが食料やシェラフは必携で、それだけ重装備になる。
私が新潟支店に勤務した1992年から3年間は夏になると毎年飯豊に出かけた。思い出深いのは1994年8月の山行で、山形県側の小国から飯豊山荘まで車で入り飯豊本山を目指した。1日目は温身平から梅花皮沢、石転び沢大雪渓(写真①②)を登り梅花皮小屋泊。

2日目は梅花皮岳、烏帽子岳、御西岳を縦走し飯豊本山に至る。(写真③④) この日は本山小屋泊。3日目は温身平に向け大嵓尾根を下った。大嵓尾根は長大な尾根でアップダウンを繰り返す厳しいルートだった。風がなく真夏の強い日差しに加え水も少なくなり体力をかなり消耗してしまった。谷筋を流れる沢の音がどこまで下ってもなかなか聞こえてこない。足の疲労がひどくなり、歩く速さも極端に落ち、最後は山道の20cmの段差が辛かった。桧山沢に架かる吊橋がかすかに見えた時、長かった尾根歩きからようやく解放されるという安堵感がこみあげた。吊橋を渡り冷たい沢に頭ごと突っ込んで水を飲んだ。

過去30数年にわたる山行の中で最も辛く苦しかった思い出として今も忘れられない。飯豊山では苦しい思いもしたが、もし私に“好きな山を3つ挙げろ”と言われたら、その一つには迷わず飯豊山を挙げる。飯豊山に派手さはない。だがこの山塊が持つ「広大さ」「山深さ」「素朴さ」は他に類を見ない最大の魅力である。私にとっては深く心に残るとても大切な山である。
山形県の朝日連峰主峰大朝日岳(1870m)に登ったのは2000年10月。初日朝日鉱泉から鳥原山、小朝日岳を経て大朝日小屋泊。2日目山頂でご来光を仰ぎ、平岩山、御影森山を巡り下山した。10月の連休初日、それも好天とあって大朝日小屋(無人)は1、2階の廊下まで足の踏み場がない程の超満員だった。梯子を上った屋根裏に何とか一人が寝れるスペースを確保しシェラフを広げた。大朝日岳から北へ、以東岳、大鳥池へと続く主脈を一度縦走したかったが、果たせていないのが心残りである。【⇒朝日岳の写真は⑤~⑦】
⑧は鳥海山(2236m)。御浜のニッコウキスゲの群落地から頂上方面を撮った。鳥海山は秋田・山形の県境に位置する。山形県側の湯ノ台口から日帰り予定で入ったが想定以上にハードなコースで、山頂直下にある御室小屋(頂上神社)に頼み込み宿泊させてもらった。
⑨は宮城・山形の県境にある蔵王連峰の最高峰熊野岳(1841m)から「お釜」を撮った。
⑩は北上山地最高峰早池峰山(1917m)。至仏山と同様蛇紋岩の山で夏にはハヤチネウスユキソウが咲く。前夜は花巻鉛温泉(湯治部)泊。東北には旅館部と滞在型で原則自炊の湯治部を併設する旅館も多い。風呂の深さが約1.25mあり珍しい「立ち湯」だった。
⑪は秋田駒ケ岳(男女岳1637m)の湯森山付近から乳頭山方面を撮った。下山後は玉川温泉泊。強酸性が日本一の温泉として有名で風呂に入った途端に全身がピリピリした。
⑫は会津駒ケ岳(2133m)。南会津の山では田代山、帝釈山、七ヶ岳にも登ったが、この地域ではやはり会津駒ケ岳に勝る山はないと思う。駒ヶ岳から中門岳に至るのびやかな稜線には池塘が点在し、展望も良く、山上散策がとても気持ち良く楽しかった。

※ 次回の写真集・第7回は「北関東・上信越の山」の予定です。
2021年5月 井上愼一

①梅花皮沢コースを辿り石転び沢の出合着、左上がこれから登る大雪渓<1994年8月>

②石転び沢大雪渓にて。雪渓上部は斜度がきつくアイゼンの装着は必須<1994年8月>

③左に北俣岳、右に烏帽子岳、間の鞍部に梅花皮小屋が小さく見える<1994年8月>

④ようやく辿り着いた飯豊本山の山頂。この日は本山小屋(無人)泊<1994年8月>

⑤大朝日岳山頂から仰ぐご来光。右の山並みは蔵王連峰<2000年10月>

⑥日の出直後、大朝日岳山頂から南に延びる峰々、遠くは飯豊連峰<2000年10月>

⑦下山ルートの途中、平岩山から振り返る大朝日岳<2000年10月>

⑧ニッコウキスゲ咲く御浜から望む鳥海山<2008年7月>

⑨蔵王連峰最高峰熊野岳からの「お釜」 右上のピークは刈田岳<2000年10月>

⑩北上山地の最高峰早池峰山。蛇紋岩の岩がゴツゴツしている<2009年9月>

⑪秋田駒ケ岳。湯森山付近からなだらかな乳頭山方面を展望<2009年9月>

⑫快晴の会津駒ケ岳。稜線上の池塘には秋の爽やかな風が流れていた<2011年10月>

 

【山の写真集・第5回目】 北海道の山(2)大雪山・十勝岳 他

前回は北海道の離島(利尻・礼文)を取り上げたが、今回は北海道本土の山に焦点を当てる。私が札幌勤務を2度経験したことは前回触れたが、2度目は単身赴任だったので休みになるとよく一人で道内を巡った。季節の良い夏や秋にはレンタカーを借り、トランクにテントを放り込み、道北へ、道東へ、道南へと出かけた。そしてあちこちの山にも登った。
北海道の山でまず思い浮かべるのは「大雪山」であろう。大雪山は北海道の真ん中に位置する正に北海道の大屋根である。私は札幌勤務時代とその後を含め15回程度登っている。山行回数では尾瀬に次いで多い。実は大雪山という名の山はなく大雪山国立公園に含まれる山群全体をいう。その中で北海道の最高峰旭岳(2290m 写真①)、北鎮岳、白雲岳(写真⑥)、黒岳、赤岳、さらに南端トムラウシ山まで連なる山塊「表大雪」が大雪山の中核を成している。その広々とした雄大な風景は本州にはない。最も大雪山らしさを体感できる場所である。アイヌの人々はこの地を『カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)』と呼び敬ってきた。
私が思い出深いのは2002年8月に表大雪を北から南のトムラウシ山に2泊3日で縦走した山行である。1日目層雲峡から入山し白雲岳キャンプ場でテント泊。(写真②) 2日目広大な表大雪を南に9時間半かけ縦断しヒサゴ沼泊。(写真③~⑤) 3日目早朝トムラウシ山に向けて出発。途中日本庭園、ロックガーデンと呼ばれる湿地帯、溶岩台地を歩く。岩と沼と高山植物が造り出す景観は天上の楽園を思わせる美しさだった。ロックガーデンには氷河期の生残りナキウサギが生息するが運よく目の前に現れた。だがカメラを構えた瞬間岩場に隠れてしまった。ヒサゴ沼から登ること約3時間、遂に念願のトムラウシ山頂に立った。しかし山頂は霧が深く立ち込め展望はきかなかった。1時間待ったが霧は晴れず、9時山頂を後にトムラウシ温泉への下山を開始、長い下山路に5時間半を要した。登山口にある東大雪荘で温泉に浸かり、その日がシーズン最終運行となるバスでJR新得駅に出た。
2009年7月トムラウシ山遭難事故が発生した。旅行業者が主催したツアーで高齢者中心に15名が参加した。私のとったルートと入山口は異なるがほぼ同じルートを辿っている。ヒサゴ沼から悪天候をおして出発しトムラウシ山中で8名が倒れ低体温症で死亡した。当時大きなニュースになったのでご記憶されている方も多いと思う。率直な感想を言えば、この縦走コースはかなりハードで距離が長く北海道という点も加味すれば難易度は高い。だが主催者は募集に際し参加者の登山歴や力量を十分把握せず適否の選別をしなかった。また登山者が多い夏、大雪山はテント泊が基本だ。避難小屋は収容キャパが小さく混雑して入れない場合があるからだ。以前私は登山口でテントの有無をチェックされたことがある。だが本ツアーは避難小屋の団体利用を前提としており、企画自体に疑問を持つ。事故原因は北海道の山の天気を甘く見たこと、さらに途中で引き返す決断をしなかったことにある。
⑦は9月中旬、美瑛岳から初雪の十勝岳を撮った。十勝岳は今も火山活動が活発でこれまで度々大きな噴火を繰り返してきた山だ。前日旭岳に登ったが午後から雨になり、夜山では雪に変わった。この日天気は回復し雪も早々に解けて、美瑛岳から十勝岳へ縦走した。
⑧は「美瑛の丘」から望む十勝連峰。山並みの中央に十勝岳の噴煙が小さく見える。
⑨⑩は道東の雌阿寒岳の写真。⑨は雌阿寒岳山頂からで、遠く雄阿寒岳と阿寒湖がうっすらと見える。⑩は紅葉が美しいオンネトー湖畔から雌阿寒岳と阿寒富士を撮った。
⑪は樽前山のシシャモナイ登山口にある「苔の洞門」。登山道両側の岩壁には苔がびっしりと密生し神秘的な景観を醸し出している。⑫は恵庭岳山頂で撮った写真。樽前山と恵庭岳は支笏湖を挟んで南と北に対峙している。いずれも札幌市内から車で日帰り圏内の山だ。

※ 次回の写真集・第6回は「東北の山 飯豊山・朝日岳」の予定です。
2021年4月 井上愼一

 

山の写真集・第4回目】 北海道の山❶ 利尻・礼文
私が初めて「利尻山(利尻岳とも呼ぶ)」に登ったのは2002年6月末である。その年の1月に札幌に2度目の転勤となっていた。実は山行を計画したのはその1週間前だったが道北地方に雪が降り延期した。利尻山に雪が積もり、知床横断道路は雪で通行止めになったとテレビで報道され、これには私も驚いた。さすが北海道、6月下旬でも雪が積もるのである。北海道の山の環境は本州と比べ遥かに厳しい。夏山でも決して油断はできないのだ。
1週間遅れの金曜日、仕事を終えて札幌駅から稚内行の夜行列車に飛び乗った。翌朝6時に稚内着。朝一番のフェリーに乗り利尻島・鴛泊港に降り立ったのは8時過ぎだった。天気が悪く、海抜ゼロメートルの港から利尻山(1721m)目指して歩き始め、しばらくして雨が降り出した。雨は止む気配はなく風も徐々に強くなった。その日の目的地は鴛泊コースの8合目と9合目の間にある避難小屋である。歩き始めて約5時間、長官山の稜線に出る。海から吹き上げてくる強烈な風で身体が振られながら漸く避難小屋に到着。無人小屋であり勿論電気はない。水場もトイレもない。当日泊まった登山者は私一人だった。猛烈な風と雨は小さな小屋を叩きつけるように一晩中吹き荒れ、私はほとんど眠れなかった。翌朝雨は止み3時40分長官山からご来光を仰ぐ。北海道は緯度が高いので夏の日の出は早い。利尻水道の海を隔てて北海道の大地から昇るご来光は神々しく美しかった。ただ強風は止むことなく厚い雲が利尻山山頂を覆っていた。(写真②) 朝食をとり6時避難小屋発。この頃天気は急速に回復し風もおさまってきた。登山道の両側には高山植物のお花畑が広がり、花を楽しみながら頂上を目指した。避難小屋から登り始めて約2時間、快晴の利尻山山頂に立った。山頂には私以外に誰もいない。正に前日から利尻山は私が“独り占め”していたのである。(山頂の写真④⑤)その後沓形コースを下山し午後のフェリーで礼文島に渡った。
利尻山には2011年7月に2度目の登頂を果たしている。目的は利尻山に咲く可憐な花リシリヒナゲシに出会うことだった。この時は鴛泊の民宿に前泊し、翌早朝民宿の車で利尻北麓野営場の登山口まで送ってもらい利尻山を日帰りした。【⇒利尻山の写真は①~⑤】

「礼文島」には上述した2002年の利尻山下山後に初めて訪れたが、その後2003年、2007年、2011年、2015年と通算5回訪れている。礼文島は美しい“花の島”だ。季節は花が最盛期となる6~7月が最も良い。緯度が高いので本州では2000m級以上の山でしか見られない高山植物が浜辺近くに咲いている。また礼文島固有の貴重な花もある。絶滅が危惧されるレブンアツモリソウ(写真⑧)はその代表格で、盗掘を防ぐため群生地には柵で囲いがされ見張りが常駐監視している。礼文島にはトレッキングコースも多くある。西海岸8時間コース、4時間コース、礼文岳、久種湖自然探勝路、礼文林道、礼文滝コース、元地海岸コース、桃岩展望台コースなどで、私はそのすべてをくまなく歩いた。
礼文島は食べ物も魅力的で食の思い出も多い。元地で食べたトド肉の串焼きのとてもくせのある味、鮑古丹の集落を歩いていた時に家から出てきたおばあちゃんが食べさせてくれたバフンウニ(毎年6/1が解禁日)の濃厚な味、礼文島を離れる日、フェリーに乗る前にいつも必ず立ち寄った香深の店『炉ばた ちどり』で食べる絶品「生ホッケのチャンチャン焼き」の味、今も忘れられない。【⇒礼文島の写真は⑥~⑫】

※ 次回の写真集・第5回は「北海道の山(2)大雪山・十勝岳」の予定です。
2021年3月 井上愼一


「稚内へ向って船が島から遠ざかるにつれて、それはもう一つの陸地ではなく、一つの山になった。海の上に大きく浮かんだ山であった。左右に伸び伸びと稜線を引いた美しい山であった。利尻島はそのまま利尻岳であった。」(深田久弥『日本百名山』から)井上慎一の「山の写真集」
【山の写真集・第3回目】 尾瀬

「尾瀬」のシーズンはほぼすべての山小屋が開く5月中旬に始まる。雪解けが進む5月下旬ミズバショウが咲く。この頃尾瀬に入る三平峠、富士見峠、鳩待峠、沼山峠には残雪が多くある。尾瀬ヶ原はまだ全体的に土色をしているが、白いミズバショウや黄色いリュウキンカが咲いている場所だけが湿原に際立っている。湿原が緑色を深める6月下旬、ミズバショウに替わって白いワタスゲが埋め尽くす。そして7月中旬になると夏を代表する花ニッコウキスゲの黄色が湿原の主役になる。8月盛夏は湿原を覆いつくす花がないため一見寂しさを感じるが、湿原をよく観察すると花の種類は多いことに気づく。9月下旬になるとクサモミジが始まり、10月山の紅葉が鮮やかな時期となる。10月中旬を過ぎると湿原に霜が降り池塘が氷結する日が増えてくる。そして10月下旬には山小屋が閉まり尾瀬のシーズンが終わる。今回の写真集にはそのような尾瀬の春、夏、秋の写真を順に掲載した。
私は尾瀬に1970年代から行き始め、これまでに行った回数は恐らく30回近いと思う。燧ケ岳や至仏山にも幾度となく登った。それほど尾瀬は素晴らしい風景や美しい花に出会うことができるところであり、どの季節に何度行っても飽きることはない。私が山に本格的に登り始めた1980年代後半、行くのは決まって尾瀬だった。毎年2度、3度と季節を変え、ルートを変え、尾瀬に行った。私にとって山の美しさ、楽しさを知ったのは尾瀬であり、登山の基礎を学び、山の経験を積んだフィールドが尾瀬であった。
私は山を始めた頃から山に行くのは一人だった。誰かに連れて行ってもらったという経験はない。その後尾瀬から北アルプス、北海道の山、東北の山と行動範囲を広げていったが、いつも一人で登っていた。気の合った仲間と行く山も楽しいが、誰に気兼ねすることなく、山の景色や花をゆっくり楽しむことや写真を撮るには一人に限ると思っている。
山を一人で歩くために必要なことがある。第1に山の特徴を知り、自分の実力に見合った綿密な登山計画を立てること。登山道、水場、山小屋、登山口へのアクセス等の最新状況を確認しておくことも必須である。また私の場合、いろいろ調べることでその山に対する思い、憧れともいえる気持ちが自然と膨らんだ。第2に山をしっかり歩ける身体を作っておくこと。重い荷を背負い北アルプスや南アルプスを縦走するにはそれなりの強い足腰と体力が必要である。準備もなくすぐ山に行って歩けるものではない。私は春になると夏山、秋山に備え、徐々に標高を高めながら少なくても月2回は山で身体を鍛えていた。第3に山に入ったら決して無理はしないこと。一人だとやはり慎重になる。悪天候で危険だと判断し山小屋に停滞し連泊したこと、山頂を目前にして退却・下山したことは何度もあった。
尾瀬で自分なりに登山の知識や技術を身につける中で、しっかり準備すれば、そして慎重に行動すれば“多人数より一人の方が安全だ”と思えるようになった。このことは今でも経験的にそう思っている。どんな山にもリスクはあるが、山で何らかの厳しい状況に陥った時、頼れるのは結局のところ自分しかない。山はすべてが自己責任の世界である。

※ 次回の写真集・第4回は「北海道の山(1)利尻・礼文」の予定です。

 

【山の写真集・第2回目】 立山・剱岳

「立山」(最高峰は大汝山3015m)は古くから山岳信仰の山として栄え、訪れる信者も多かった。立山は日本三霊山の一つ(他に富士山、白山)とされている。一方で「剱岳」は明治時代まで前人未踏の山と言われ、また地域住民の間では決して登ってはいけない山として恐れられてきた。全山が岩でできたような巨大な岩峰で四方を頑丈な岩で固めた要塞のようでもある。天空に針のようにそびえ立つ姿は容易に人を寄せ付けようとしない威厳すら感じる。剱岳の標高は2999mで残念ながら3000mに1m足りない。日本国内には3000m以上の山が21座あるが、標高で言えば22番目の山になっている。

「剱岳」に私が初登頂したのは2001年8月である。さらに2009年に公開された映画『劔岳 <点の記>』を観て再度登りたくなり、その年の8月に2度目の登頂を果たした。新田次郎の原作になる同小説を読まれた方やこの映画をご覧になった方も多くいられると思う。日本地図最後の空白地帯の測量と未踏峰とされてきた剱岳への初登頂の命を受けた陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎が幾多の困難を乗り越えて明治40年7月に登頂を果たすドラマが描かれている。ところが山頂で錆びついた鉄剣と銅製の錫杖頭が発見された。鑑定によるとおよそ1000年前、奈良時代後期か平安時代初期にかけて登頂した修験者のものと推定された。いずれにしても柴崎の測量隊が初登頂ではなかったことが判明し、落胆した陸軍上層部はその快挙、功績を称えることはなく、公表すらしなかった。

明治時代までは登ることが困難だった山も現在は登山道が整備され一般の登山者でも登れるようになった。しかしだからと言って剱岳は今も決して簡単な山ではない。一歩間違えば命を落とすかもしれない幾つもの難所が待ち構えている。今回の写真集でもその難所を掲載した。②は「前剱の門」へのクサリ場で20m程の絶壁を右にトラバースする。足場はしっかりしているが、かなりの高度感で足がすくむ場所だ。③は「カニのタテバイ」。50m程のほぼ垂直に近い岩壁で岩にボルトが埋め込まれ、そこに足を置きクサリとボルトを頼りによじ登る。私はここを登る時に決して下を見ない。⑥は下山ルート「カニのヨコバイ」を真横から撮影したもの。ヨコバイは絶壁のクサリ場を左にトラバースする。足を置く溝が上から見えないので恐怖感がある。とても緊張するいやな場所だ。第一歩目はクサリに捕まり身体をずり落とし岩壁の溝に足を置く。そのまま手はクサリに捕まりカニのように溝に沿って横(写真では手前から奥に)に歩く。2度目の剱岳で下山する際、ヨコバイ上で順番待ちの列が渋滞し30分近く待たされた。中年の女性がヨコバイ通過に極度の緊張で動けなくなったのだ。同行者が付きっきりでサポートし無事通過ができたようで安堵した。

2001年の山行では入山2日目に劒沢から剱岳を往復した後、別山を経由して真砂岳直下の内蔵助山荘に泊まった。⑨は3日目朝、真砂岳山頂からのご来光である。この日は立山三山(富士ノ折立→大汝山→雄山)から一ノ越を経由し、室堂には下りず、アルペンルートの中継地点・黒部平まで歩いた。一ノ越から黒部平への下山に約2時間半を要したが、夏のハイシーズンにも拘わらず一人の登山者とも会わなかった。

※ 次回の写真集・第3回は「尾瀬」の予定です。
2021年1月 井上愼一  

 

【山の写真集・第1回目】 槍ヶ岳
<はじめに>
 私が山に本格的に登り始めたのは1980年代後半である。それから30年に亘り全国の山に登り続けてきた。北は利尻山から南は屋久島・宮之浦岳まで、多い年では年15回以上、平均しても年10回程度は山に行った。なので30年間に重ねた山行は300回を超える。数年前に持病の腰部脊柱管狭窄症を悪化させ本格的な山には行けなくなった。「山」は私にとって趣味というより生活の一部だったので残念でならない。
山に行き始めて「山の写真」にも興味を持った。月刊誌『山と渓谷』や白籏史朗氏の写真集などに刺激を受け、山の写真を撮り始めた。現在まで溜まりに溜まった「山のアルバム」は40冊以上に及ぶ。たまに古いアルバムを開くと懐かしい山行の思い出が蘇る
 先日稲門会の数人の方にそのアルバムの何冊かをお見せしたところ好評だったので、今回HPにその一部を掲載させていただくことになった。拙い素人写真なので大変お恥ずかしい限りなのですが、少しでも興味をもって見ていただければ幸いです。
一度に出すのは大変なので、山ごとに、或いは地域ごとに、気に入っている写真や思い出深い写真を選別し掲載していきたい。第1回目は「槍ヶ岳」です。
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「槍ヶ岳」は富士山と同様、日本の山では特にシンボリックな存在だと思う。よく奥多摩や奥武蔵の山に出かけると、展望のよい山頂からは富士山を探す。見えると皆が歓声を上げる。それと同様に北アルプスが展望できる山では真っ先に槍ヶ岳を探す。天を突きさすような槍の姿はどこからでも目立つ存在で、その姿はとても美しい。やはり槍ヶ岳は登山者なら誰もが登ってみたいと憧れる名山である。
私はこれまで槍ヶ岳には5回登った。その中で最も印象深いのは2002年10月の山行だ。上高地から入り1日目に宿泊した槍沢ロッヂの情報では、この年の紅葉の鮮やかさは“10年に1度”とのこと。2日目槍ヶ岳を目指したが、途中槍沢上部・氷河公園周辺の紅葉は本当に見事だった。その日は天気も快晴で、真っ青な空に紅葉と槍ヶ岳の姿がよく映えた。天狗池でカメラを構えていた人が「この素晴らしい紅葉と今日の天気は宝くじに当たったようだ!」と表現した言葉が今も記憶に残る。今回HPに掲載する写真もその時のものが多くある。

※ 次回の写真集・第2回は「立山・剱岳」の予定です。
                              2020.12 井上愼一