第17回 柳澤登

 

        早稲田在学4年間の想い出 
                      

                                  1979年商学部卒業                          幹事長 柳澤 登

 昨年の会報20号にて、昭和49年春入学時に応援部への入部についてを書きましたが、今回は入学時に下宿生となったこと3年時からのゼミについてを書かせていただきます。
 入学当初は東松山からの自宅通学を予定しておりましたが、応援部入部により当時の1年先輩の長野出身古越(現税理士)さんから、西武線野方駅近くの閑静な住宅地にある「石塚荘」という下宿先を紹介されました。古越さんも入居しており、ちょうどその3月末に入居の先輩が卒業退去したことで、1部屋が空いたことからでした。しかも古越さんより、野方は通学にも便利さらに「石塚荘」は敷金・礼金も無く家賃が相場より格安といいことばかりを吹き込まれ、下宿生活を決意しました。幸いにもなんとか親からの了解が取れ、さっそく5月から入居することになりました。

①昭和52年2月
3年生。入試警備のため校内テントで同期生と。右側が小生(応援部入試警備隊長)

この「石塚荘」は早稲田大学職員の石塚氏が大家で、ご自宅と下宿棟が棟続きであり玄関・洗面所は共同。2階建で各階に3部屋、合計6部屋ありました下宿生は全員が早稲田の現役応援部部員、主に下級生が1階の3畳間の部屋に、2階の4畳半の部屋は上級生が入居。この時上級生には、4年時に応援部主将になる静岡出身鈴木重樹(元富士通役員)さんも入居中でした。
そしてこの下宿の素晴らしさは、入居後に知ることになりましたが「縦社会の応援部」にあって、入居の上級生は偉ぶることなく後輩への面倒見の良さを伝統にしていました。小生も下級生時代は誘われて近くの銭湯に行き、帰りは焼鳥屋でご馳走になりました。又面倒見の良さは大家の石塚さんは更に上で、上級生になるとご自宅の居間に食事に呼んで近況報告をさせていました。特に小生は、4年時の秋に応援部先輩OBの協力を得て、大手流通企業に就職が内定したにも係わらず、単位不足になりそうで悩んでいた所、幸いにも石塚さんから教授に連絡いただいて、「追加論文」の提出にて単位取得をさせていただきました。そのおかげで卒業も出来 就職も当初通りスムーズに出来たことでなんとか親孝行も出来た次第です。卒業後も野方に出向き石塚さん・「石塚荘」に御礼に訪問致しました。
 3年時になり応援部の活動が生活のメーンとなり、つい忙しさからゼミのエントリーを失念してしまい困っていた所、商学部同期の斉藤(元安藤建設)君が相談に乗ってくれ、しかも自分のゼミの教授に推薦してくれました。すぐに、ゼミの五百井理工学部教授に面談出来「情報システムゼミ」に追加で入れて貰うこととなりました。ゼミ生は、3・4年生各10名ほどで、毎週金曜日4時から講義。若手気鋭の五百井先生の熱血指導は、講義時間内には終わらずに6時からは場所を高田馬場栄町「居酒屋花福」に移動して、終電を気にしつつ議論を続けました。小生4年時には、一度「花福」での議論が盛り上がり、五百井先生の自宅(鎌倉)への終電が間に合わなくなり、野方「石塚荘」の下宿へお泊まり頂いたことがありました。先生の奥様からも、「花福」で開催したゼミの卒業祝賀会席上で「御礼の言葉」を頂き大変恐縮したことを想い出します。

➁昭和53年4年生。
秋の早慶戦にて慶応側スタンドでバンドの指揮をとる!中央の偉そうなのが小生。

 小生卒業後は先生の好意からゼミに「応援部枠」が出来、正規ゼミ生以に部員で希望があれば1~2名が追加でゼミに入れるようになりました。
またゼミの夏合宿は、毎年長野県野尻湖の民宿で3泊にて開催され、午前中はマラソン等のスポーツ大会、午後からは研究発表、夕食後は先生を囲んで懇親会と濃密な時間を過ごしました。
 そんなゼミでしたので卒業後も仲良く連絡を取り合い、過日は佐賀県出身橋本君が鳥栖市の3期目市長であることから こちらの香川市長を紹介して市政運営・選挙等のノウハウを依頼した所、快諾の上 スケジュールを調整し公務で上京した際に志木市役所まで来てくれました。両市長を市長室で紹介できたことから、予想以上にお二人から感謝されました。
在学の4年間は数多くの先輩・友人に恵まれ、卒業後も引き続き懇意にさせていただいています。想い出すたびに感謝と幸せを感じるこの頃です。

③昭和53年7月
ゼミの五百井教授にお中元!お礼のはがき。4年生7月、ゼミが合宿はもうすぐ!!