第13回:井上 愼一さん
私の稲門時代
昭和45年商学部入学
昭和49年卒業
私が高校を卒業した昭和44年は大学紛争が激化の一途をたどった時代でした。1月には東大安田講堂事件が発生し、その年東大入試が中止となりました。結局現役での受験は失敗し、1年間御茶ノ水の予備校に通いました。御茶ノ水界隈も学生と機動隊との衝突が絶え間なく発生し、その度に町中に催涙ガスが漂っていました。受験勉強の甲斐あって翌年は複数の大学に合格しましたが迷わず早稲田を選びました。
大学に入ったら何かスポーツをやりたいという気持ちは入学前から強くありました。高校時代はバスケ部に入りましたが途中で挫折し、2~3年は演劇部でした。4月大学構内には様々なサークルの新入部員募集ブースが立ち並び、最初に話を聞いたのがヨット部でした。ヨットというスポーツにとても魅力を感じ、未経験者でも大丈夫だという話もあり、やってみようという気持ちになりました。その数日後、葉山での合宿に初めて参加したのです。
合宿所に入り真っ先にやらされたのが「食当」(食事当番)でした。食当は1年生の役割なのです。朝・昼・晩と3食、総勢40人を超える部員の食事作りは大変でした。それまでお米を炊くことも林間学校で飯盒炊飯をやった程度で、料理の経験もまったくなかったからです。食事が不味いと夜上級生の部屋に呼ばれ怒られ、バツとして外を走らされました。本格的にヨットに乗るようになったのは夏の新人合宿からです。この時点で1年生の在籍は20人程度に減りました。因みに同期で4年生の最後まで残ったのは9人でした。
私の稲門時代のほとんどは大学キャンパスではなく海で過ごしました。当時合宿所のあった三戸浜(三浦市)や学生ヨットのメッカともいえる葉山での合宿生活は年間150日にも及びました。合宿所にはテレビもなく、世間から遠くかけ離れた世界で、正にヨット漬けの毎日を送っていました。朝から1日中海に出ての練習、夜は合宿所で座学(練習の振り返り)です。楽しみといえば、座学が終わって同期のメンバーと部屋で過ごす時間でした。ギターを弾きながらみんなで歌った曲、ワイルドワンズ「思い出の渚」、加山雄三「お嫁においで」、ザ・リガニーズ「海は恋している」、フォークル「あの素晴らしい愛をもう一度」、ジローズ「戦争を知らない子供たち」等々、今でも懐かしい我々にとっての青春の歌でした。
合宿生活が長く続きアルバイトもできなかったのでいつも貧乏学生でした。合宿代は払わなければならずお金には苦労しました。合宿やレースが一時途切れる7月、12月は三越でお中元、お歳暮の包装作業のアルバイトをしましたが、ヨット部の強制労働とも言えるものでアルバイト料は手元には入らず、すべてヨット部の資金として吸い上げられました。
ヨットはとても激しいスポーツです。“優雅なスポーツ”というイメージを持つ方も多いようですが実態はかなり違います。大学ヨットレースは私の時代も今もスナイプ級と470(ヨンナナマル)級の2クラスがあり、私はスナイプに乗っていました。いずれも2人乗りの小型艇ですが、とてもバランスは悪く操縦は簡単ではありません。操縦を誤れば簡単に「沈(ちん)」(転覆)します。クルーに求められるのは強い腹筋力、背筋力、ヒール(風による風下側への艇の傾き)を逆方向に“つぶす”足腰の力、動きの俊敏性、長時間のレースに耐えられる体力、そして海面の状況と風を読む力です。風の強さや方向は一定ではありません。いかに有利な風をつかんでヨットを走らせるかが勝つための鍵になります。
4年間海で暮らした生活は今では楽しい思い出となっています。海の怖さも体験しました。海の美しさも体感しました。1日の厳しい練習が終わり、合宿所への帰り道で見た夕暮れ時の海の美しさは格別でした。練習してきた海面を隔てて江ノ島があり、遠く丹沢や箱根の山並みの先には富士山が見えました。西に傾いた太陽は空を橙色に染め、紺青色の海も夕日でキラキラ輝いています。波の音、そして潮風の匂い。いつも見慣れた何気ない風景でしたが、当時見たその美しい湘南の海の景色が今でも脳裏に焼きついています。
大学卒業から50年近くが経過し稲門時代は遠い昔となりましたが、現在もヨット部OBの一員として大学の活動に関わっています。そして来年2021年はヨット部関係者全員が待ち望む大きなイベントが2つあります。1つ目は2年前に卒業した岡田奎樹君(現トヨタ自動車東日本)が470級で東京オリンピックに出場することです。一昨年江ノ島で開催された470級世界選手権で見事優勝したことでオリンピックの有力なメダル候補になっています。2つ目は長年の念願だったヨット部の「新合宿所」が葉山に完成(6月竣工予定)することです。敷地100坪弱、建物は鉄筋コンクリート3階建で大学が所有する立派な合宿所となります。建設決定の決め手となったのはOB会が中心となって行った寄付金活動でした。1口10万円とかなり高額でしたが、多くのOBがこの活動に賛同し協力した結果、目標額5000万円を今春遂に突破しました。一つの案件で5000万円という額の寄付金は他運動部を含め過去に例がないとのこと。このOBの熱意を大学側が高く評価し、その実現を後押ししたのです。新合宿所ができることで練習環境は格段に向上するので、今まで以上に強い!強い!早稲田の活躍が見られると思います。