第27回:椎木 雅和さん
私の稲門時代
1988年(昭和63年)
教育学部卒業
早稲田大学を卒業して、34年程経ちました。私は卒後、商社に3年ほど働き、その後、歯科大学に学士入学し歯科医師となりました。縁あって医学部の大学院に進学し、その後は祖父、父が携わった歯科医院を歯科医師の奥さんと一緒に継ぎ、現在、地区の歯科医師会で専務理事の職についております。
私は、学部は教育学部教育学科社会教育専修でした。普通に楽しい学生生活だったと思います。稲門時代の印象は、探検部での活動だったと思います。では、早稲田大学探検部とは如何なる団体なのか、これは正直なかなか難しい話となります。探検を辞書で引くと「未知の地域などに入って探り調べる」となる。今の時代に「未知の地域」があるのだろうか。私が考える探検部とは、自分が興味を持った事象に対し、日本だけでなく、全世界を対象として捉えて、活動することだと考えていました。そこで、探検部時代に一番印象深い体験を紹介したいと思います。それは、大学2年生から3年生に行なったアフリカ~サハラ砂漠バイク縦断隊でした。探検部に入部して、初めて登山を経験しました。高校時代ラグビー部だった自分としては、体力に相当自信がありました。ところが、使う筋肉が違うのか、物凄く苦しかった事を覚えています。その当時は、真剣に探検家を考えていたので、基礎から登山を学ぼうと、沢登りから洞窟探査・雪山登山などの活動をしていました。
ある時、2年上の先輩がサハラ砂漠をバイクで縦断したいとの話がありました。その時、私の頭は「これだ。この壮大な計画に参加すべき」と一気に傾いて行ったことを覚えています。初めは3名の計画でしたが、結局は2名で行くことになりました。
計画では、パリに入りニジェールのビザを取る。バイクは、船便にてフランス、ルアーブルに輸送する。アルジェリのビザはマルセイユで取得し、フェリーにてアルジェリアに入国し、バイクでサハラ砂漠を縦断するというものでした。
<出発した大韓航空機の機内で>
我々が今後の計画を話し合っていると、隣の日本人の年配の女性が話しかけて来ました。自分は、早稲田の文学部出身でパリでフランス語の翻訳の仕事をしているとの話でした。我々がパリは初めてで何処に宿泊するか決めていないと話すと、安いホテルなら教えてあげるとわざわざそのホテルまで連れていってくれました。
<フランスのルアーブルで>
ルアーブルは、ドーバー海峡に面した港町で、宿泊は、小さな民宿のアパートでした。オーナーは、我々の計画に大変興味を示してくれて、船が到着すると、自分の車で送迎してくれて、バイクの組み立てはオーナーの倉庫で作業させてもらいました。
<高速道路上で>
お世話になったバイク店のステッカーをデカデカとバイクに貼り、後部には給油のための補助タンクを搭載し、かなり目立っていたと思います。ルアーブルからマルセイユへとフランスをバイクで縦断中の高速道路でパトカーからパーキングエリアに来るようにとの指示がありました。そこで、君たちは何人でなにをしようとしているか等の質問を受けました。今回の計画を話したところ、お巡りさん達は、頑張れよ!と激励してくれました。
<マルセイユにて>
宿泊したホテルは確かフランスホテルという名前だったと思います。アラブ系が多く、周囲は危険な雰囲気が漂っている危なそうなホテルでした。支配人は我々の計画を話したところ、ここは治安が悪いから、ここにバイクを止めない方が良いと、わざわざ使っていない商店のシャッターを開けて置かせてくれました。
<アルジェリアビザ申請で>
マルセイユのアルジェリア領事館でビザ申請したところ、最近、東京で申請しなければならない事が判明しました。つまり、ここでは無理だと言われました。何時間もお願いしましたが、無理な物は無理と一向に受け付けてくれません。ふと、思い出したかのように、先輩が、もしもの時にと作成した早稲田大学探検部の英文で正式にタイピングされた計画書を取り出しました。ダメ元でと担当者に見せたところ、何と領事室に通してくれました。領事は年配の女性でした。計画書を手にして、ドキュメントにするのか等の質問をされました。そして、特別にビザを発給してくれたのです。この時ほど、早稲田大学の偉大さを感じたことはありませんでしたし、我々の背後には早稲田大学が共にあると勇気づけられました。
その他にもバイクの備品購入のためにお店に連れていってくれたバイク乗りのアルジェリア人のおじさん、砂漠の道路上でワインの酒盛りをしていて歓待してくれたトラック運転手のおじさん達、砂漠縦断後、うちに来いと泊めてくれた日本人の海外青年協力隊の人達と言ったように他にも多くのあらゆる人のお世話になりました。
探検と冒険の違いは、それが社会的に評価されるか否かにあると私は考えます。このような体験が今の自分に役立っているかは分かりませんが、常に好奇心を持ち、社会に貢献できる生き方をしたいなと思い、生きています。