第34回 森川恭子さん
1988年 教育学部(理学科)卒業 森川 恭子
1984年、私は早稲田大学に入学しました。一応国立大学も受験しましたが、あまり行きたくない大学(ちなみに不合格でした 笑)でしたので、実質第一志望の早稲田大学に合格でき、もう受験勉強しなくていいんだという解放感も相まって、幸せいっぱいでした。で、つい浮かれすぎてしまい、体育科目の登録を忘れてしまい、仕方なく、2年生と3年生で体育を取る羽目になってしまいましたが、今ではいい思い出です。
サークルは、「早稲田大学の女学生は、近隣のお洒落な女子大生に完全に負けてしまって、男子学生には全く相手にされない」という噂に怯えて、当初、オール早大生のテニスサークル「グリーン」(という名前だったような)に所属しましたが、どうもテニスというお洒落なスポーツクラブに馴染めず夏合宿で退部し、行きついた先は、「早稲田大学オリエンテーリングクラブ」でした。
「オリエンテーリング」は、日本では「新入生歓迎会」等で、大きな公園、広場で初めから設置されているポイントを、地図とコンパスで周るピクニックの延長のようなイベントとして知られていますが、北欧生まれのスポーツとしての「オリエンテーリング」は男女別、レベル別のタイムレースで、小さな尾根等の藪の中に、練習では自分達で、大会では大会主催者がその都度、ポストを設置します。当然タイムレースですので、時間節約の為、最短ルートを進むことになり、小道ではなく藪の中を走ることになります。なので、手足は傷だらけになりました。
因みに「オリエンテーリングクラブ」は各大学に一つしかなく、早稲田大学ではサークルでしたが、体育会の大学もありました。毎年、インカレも開催され、それを目標に皆真面目に活動していました。
練習や大会は、高低差のある丘陵地なので合宿ばかりで、安い公民館や宿舎に泊まりながら、日中は練習、夜は皆で飲んで騒いでいました。でも、話題は全くお洒落とは無縁で、ある時、男の先輩がふと、「テニスとかのお洒落なサークルは普段、何を話しているんだろう」と聞いてきたので、私が「どこどこの(都心の)お店はお洒落だとか美味しいとかではないですか」と答えると、他のメンバー達が、「(練習地の近くの)〇〇村のコンビニの紙パックジュースは期限切れだった」だの、「△△町のコンビニの弁当は腐っていた」だの「××山の麓は近所にスーパーマーケットがなくて、買い出しに不便だ」だの言いだして、皆で爆笑したのを覚えています。
又、一回だけクラブとしては贅沢な温泉地の国民宿舎に泊まったことがありましたが、共同浴場にいくと、周りは老人(今は私が老人ですが(笑))ばかりで、先輩と「ひー!!(文字通り、裸の素肌から直に)若さが吸い取られる~~!!」と、絶対周りに聞こえないように叫んでいたこともいい思い出です。
さて、肝心の私の「オリエンテーリング」の成績はというと、もの凄い方向音痴ということもあり、参加率高い割には、イマイチでした。(笑)
実は、もう一つMISという理工学部のコンピューターのサークルに所属していました。私は数学専攻ということもあり、一つくらい大学時代に実用的なスキルと身に付けたいと張り切って入部しました。ですが、他は通信学科や電気工学科のメンバーばかりで、ついていけず、専ら飲み会要員となっていました。ここでも、高い参加率を上げていました。
最後に学業はというと、最後になるだけあって、実は勉強した記憶が全くありません。
入学時「4年間、遊び倒す!」に心に固く誓った通り、遊び倒しました。何とか4年間で無事、卒業出来て本当に良かったです。
今振り返ると、勉強は全くしませんでしたが、あれだけ堂々と自由を謳歌できた稲門時代は、私の人生の中で最も楽しく充実した4年間でした。
早稲田大学で大学生活を過ごせて、とても幸せでした。