第37回 鈴木康善さん
志木ニュータウン在住の鈴木康善と申します。
1983年に理工学部金属材料工学科に入学。卒業時は材料工学科に名称変更、大学院を経て1989年に社会へ出ました。
前半3年間は、月曜実験のレポートと試験前以外ほとんど勉強せず、英会話スクールやサークル、アルバイトに明け暮れました。英会話では外国人講師の「発音より話す内容を磨け」という助言が心に残り、18年後の外資系転職にもつながりました。サークルは女子大と連携し、実験レポート完備が魅力。家庭教師や塾講師、郵便局深夜勤務で学費やデート代を稼ぎました。免許合宿、スカラシップでの米国旅行、与論島旅行も思い出です。
3年次末に研究室配属。仲間と楽そうな研究室を志望するも、くじ引きで友人は最難関研究室に。彼は博士課程へ進み教授となり、私は軽い気持ちで修士課程進学を決めました。父に報告すると「奨学金をもらえ」の一言。日本育英会は所得制限で不可、教授の勧めで東亜燃料工業の企業奨学金を受けました。
4年次は徹夜実験の日々。父が下宿先に来ると中華屋で一杯やるのが楽しみでした。卒論を終え修士課程に進む直前、使える実験装置がないことに気づき、壊れた装置を修理しながら文献調査。JICST検索で、たった一件の出力の為に12000円も費やしてしまった苦い経験をバネにして検索方法を習得し、図書館通いに没頭しました。4年生の指導や研究室旅行でのスキーも良い思い出です。
後半で最も印象深いのは、ベルリンの壁崩壊前年の1988年夏、西欧7カ国を巡った1か月の旅。英語の便利さと各国の歴史を実感し、世界史に興味を持ちました。
卒業前には昭和天皇崩御に立ち会い、平成元年4月に社会人へ。この間、偶然や人との縁が進路や価値観を大きく形づくったと感じています。
鈴木康善(すずき やすよし)

「大学2年、米国旅行した時に撮影」
ちなみに、私は右から2番目です(スプーンをくわえてます)