10/25/202211/25/2022 第19回:小西 侯久さん 神宮球場が熱狂した1960年秋の早慶6連戦を白黒テレビで見た中学生の私は、“早稲田に行く!”と決めました。田舎者には慶応の都会風なスマートっぽさは性に合わず、それに比べて野暮ったい早稲田なら気兼ねなく学生時代を謳歌できそうな気がしました。
10/25/202211/25/2022 第18回:大貫 正男さん 昭和23年、朝霞市(当時は内間木村)を流れる荒川沿いの農家に生まれる。薄暗いランプの灯で食卓を囲んだ幽かな光景が記憶に残る。「団塊世代」と呼ばれる年代に生まれた私は戦後復興、高度成長などいくつかの時代を経験して来た。
10/25/202211/25/2022 第17回:柳澤 登 幹事長 昨年の会報20号にて、昭和49年春入学時に応援部への入部についてを書きましたが、今回は入学時に下宿生となったこと3年時からのゼミについてを書かせていただきます。
10/25/202211/25/2022 第16回:田中 民男さん 1972年夏 サークル活動の一環として夏休みに青森県の六ケ所村に取材旅行に行く。大学一年のときだった。六ケ所村の原発開発をテーマにしたドキュメンタリー制作のためだった。資金がないので八ミリ映画だ。